ハウルが動くにしろ動かないにしろ(見た人向け)

宮崎駿監督アニメ「ハウルの動く城」を見てきました。
土曜の日付で、ネタバレなしの感想を。日曜の日付で、すでに見た人向けの感想を。


この映画の感想は、「面白い」に尽きるんじゃないかと思う。というのは、この映画の登場人物の、ほとんどの人間の、目的が不明確だから。誰が何をやりたいのか、てんで不明確なのよね(まぁある程度は意図的に不明確さにされていたりすることなんだろうけど)。
ハウルは何がしたくて、実際何をしているのか、あまりに漠然としか分からない。戦争の邪魔をしてるんだろうことは分かるけど、その理由とか方法とかが描かれないから、ともするとただたんに気に入らない同業者(戦争に荷担する魔法使い)を殺しに行ってるだけにも見えてきちゃう。
ソフィーはいつどうやってハウルのことを好きになったのか。まぁこっちは、街で助けられた時かな?とか、暮らしている中でその弱さなり、"まっすぐ"さなり、人間性なりを垣間見た辺りでかな?とか、色々言えるけど、どれもいまいち説得力がない。
そもそもソフィーのキャラ自体が、いまいち固まっていない気がするし。冒頭のやや無気力というか、自分を抑えて生きている様子と、90歳になってからの気力あふれるおばあちゃんっぷりは、あまり同じ人物とは思えない。
実年齢に戻された後の荒地の魔女にしても、ボケてんだかボケてないんだか。ってか何でこの人は、あっさりソフィーたちと行動を共にするようになったのか分からないし、ソフィーがそれを許している理由も良く分らない。そんなに人情味あふれるキャラクターなのか?
マダム・サリマンは、何がしたかったんだ?ハウルみたいな美少年系の使い魔みたいのを使役してるあたり、びみょーにただの善人じゃなさげな雰囲気はかもし出されてたけど、結局どういう人なのか分からずじまい。何でハウルと敵対したり、すんなり"ハッピーエンド"(作中表現)を受け入れたりと、いまいちあやふや。
案山子のカブは、いつからソフィーを好いていたんだ?ただ、カブが最後で唐突に隣国の王子という正体をあらわして、でもソフィーはそれに見向きもしないっていうのは、いわゆるご都合主義的昔話に対する揶揄だったりギャグだったりするのかなあ、という気はした。
最後でハッピーエンドっぽい空気になるのは確かなんだけど、その実、あんまり世情は好転してない。マダム・サリバンが戦争を終わらせるよう提言して、隣国の王子もそう働きかけるみたいだから、戦争が終わりそうな空気ではあったけど。


もちろん、どれも、色々推測することはできるんだけど、ちょっとこれはやりすぎじゃないかなあ、という気がする。推測させて楽しむというよりは、ささやかなヒントを出して、あとはご自由にお楽しみを…みたいな、消化不良気味な印象を受けてしまった*1
ただ不思議なのは、それでいて、見ているときは何となく面白いっていうこと。いや、これだけ不満的なことを書いていてこんなことを言っているのはおかしいと思うかもしれないけど、面白いんだよ。見ているときには。
この部分が、ある意味一番の宮崎アニメらしさなのかなあ、という気はした。でも、手放しに「おもしろーい」って絶賛できるような作品じゃあなさそうだよ?


ここらへん、まったくもって余談なんだけど、呪いをかけられたソフィーが、老婆の姿で描かれたり、若返った姿で描かれたりするのは、きっと何かにリンクしているんだろうけど、ちょっといまいち掴みにくかった。

*1:「あとはご自由に…」というスタンスは、表現者のそれではない、と少なくともぼくは思っている。