橋本真也

あまり公言したことはなかったし、このタイミングで言うのはあまりに嘘っぽいんだけれど、ぼくが最初に好きになったプロレスラーは、橋本だった。
何故あまり公言しなかったのかと言えば、今のぼくの趣味とはずいぶんと違うし、ミーハーとも通好みとも言えない橋本を"最初に好きになったレスラー"として挙げることに、気恥ずかしさみたいなものがあったからだと思う。
ぼくがプロレスを見るようになったのは、小学校の低学年。その頃はまだ深夜ではなく、夕方の4時から、新日本プロレスが放映されていた。
その当時、若手のエース的ポジションにいたのが"闘魂三銃士"こと、武藤敬司蝶野正洋橋本真也の3人だった*1。そんな中でも、"爆殺シューター"のキャッチコピーで、重い蹴りを放つ橋本に、幼少の頃のぼくは心惹かれた。
プロレスを見続けていくうちに、"天才"武藤に一目置きつつも、"黒のカリスマ"となった蝶野に興味を持つようになって行ったが、最初に好きになったレスラーというのは、橋本だったんだと思う。
今思えば、橋本のスタイルというのは、分りやすいのだ。分りやすさというのは、プロレスにおいて、特に初心者が見始める段において、非常に大事なことだ。子供が見て、好きになれるというのは、人気商売にあって、とても有利な特徴といえる。
そして、橋本のスタイルは、ある意味完成されていた。武藤がその天才さを発揮して様々なスタイルをこなしていき、蝶野が黒のカリスマへの変遷を遂げる中、橋本は常に、黒いパンタロンと、長い白ハチマキで、重い蹴りを放っていた。


プロレスのスタイルもそうだけど、実生活においても、彼はあまり器用な方じゃなかったと思う。
契約違反な試合*2を仕掛けられてボコボコにされても、自分で興した団体を解雇されたり、不倫の噂が立ったりしても、弁明どころか、事情説明すらせず、ひたすらに態度で自分の想いを示してきた。
それが彼の思っていた美学だったのか、彼の不器用さゆえのことだったのか、何も考えていなかったのか、どんな理由にせよ、リングの上の橋本とギャップを感じない、橋本らしい姿勢だった。


力道山は話でしか知らない。
馬場の活躍はぼくの世代ではなかった。
鶴田はもう引退していたし、ぼくは全日本を見ていなかった。
冬木もの試合も、あまり見たことはなかった。
クラッシュ・ホーリーは、申し訳ないけれどあまり注目していなかった。
急死したレスラーは少なからずいるけれど、ぼくに最も大きなショックを与えたのは、橋本真也であって、願わくばもうしばらく、こんなに大きなショックは与えないで欲しい。


ZERO-ONEの負債のこと。
救急車を呼んだ「同居人」のこと。
批判や疑惑が沸き出す可能性は残っているけれど、それはそれ。橋本のことだから、何事もなかったかのように、態度で示してくれるんじゃないか。

*1:実際は、それに馳浩佐々木健介ハセケンタッグや、ジュニアのライガーやなんかも人気だった

*2:我ながら遠回しな言い方だな